仏教の世界では六道輪廻の考えがあり、人は死んでしまうとまず冥界へ行きます。
次に「死出の山」へと進み、「三途の川」へと行き、「十王の裁き」を受けることになります。
通常は十王の裁きを受けてからでないと、一般的に知られる天国や地獄(その他にもあと4つの世界があります)といった世界には行くことができません。
しかし、極楽浄土へと行く人達は選ばれた善人なので、閻魔大王の裁きを受けずに良いとされていますし、極悪人に至っては火車が迎えに来てくれるそうです。
ここでは、一般の人が必ず通るとされている「三途の川」について、渡り方やコツも合わせて紹介していきます。
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三途の川
人は亡くなった後に、三途の川を渡って死後の世界へ旅立っていくと言われています。
つまり三途の川は、私たちが生きているこの世と死後の世界を結ぶ川なのです。
なぜ三途と言う名前なのかと言うと、三途の川を渡るのには三つの方法があるからだと言われています。
その方法は生きているときの行いによって決まり、
善人は金銀七宝でできた橋を、軽い罪を犯した人は川の浅瀬を、重い罪を犯した人は川の深いところを渡る、と言われていて仏教の教えに由来しています。
川を渡る三つの方法
有橋渡
善人だけが渡ることを許される橋は有橋渡(うきょうと)と呼ばれ、水に濡れることなく渡り切ることができます。
また、この橋はあの世への入り口とされていますが、逆にあの世から逃げだす時にも使われます。
山水瀬
軽い罪を犯した人は、山水瀬(さんすいせ)あるいは浅水瀬(せんすいせ)と呼ばれる、川の浅瀬(水はひざ下)を渡ることになります。
浅いから大丈夫と油断している亡者に至っては、滝の激流に巻き込まれることもあると言われています。
江深淵
重い罪を犯した人は、江深淵(こうしんえん)あるいは強深瀬(ごうしんせ)と呼ばれる、深くて流れが急なエリアを渡らなければならないのです。
ある説によると、三途の川の川幅は560㎞もあると言われています。
500㎞が、東京から大阪くらいまでの距離と言われているので、これに60㎞を足した距離になります。
普通に歩いた(時速4㎞~5㎞)場合でいうと、6日程度かかる距離とも言われています。
太鼓橋
またこれとは別に、太鼓橋(たいこばし)という真ん中が半月形のように反った橋もあります。
これは極楽浄土へ行く人の為に用意された、特別な橋となっています。
この橋を渡る場合には、地蔵菩薩が誘導してくれるようになっています。
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川は自力ではなく船で渡ることもできる
平安時代の末期には川を自力で渡ると言う考え方が消え、船で川を渡ることができる、という考え方が広まります。
川を渡るには六文銭(200円)のお金が必要なのですが、六文銭が無いと渡った後に向こう岸で番をしている懸衣翁(けんえおう)と奪衣婆(だつえば)に、渡し賃代わりに衣服を剥ぎ取られてしまいます。
また、六文銭が無い現代には、人が亡くなった後無事に川を渡れるようにと、冥銭(めいせん)と呼ばれる紙に書いた六文銭を棺に入れて送る風習がある地域もあります。
ちなみに、三途の川を渡る際にはこうした船を使うのがコツで、歩いて渡るよりも遥かに楽なので、渡る際には船を使うのが良いとされています。
もう一つの説
しかしこれには、様々な説があり、本当は三途の川を渡る前に奪衣婆と懸衣翁に出会うのではないかとされています。
この説では、川のほとりで出会う奪衣婆と懸衣翁は、初めから亡者の衣服を剥ぎ取って罪の重さをはかることが目的とされ、お金は取らないとされています。
ですが、衣服を着ていない亡者は、代わりとして皮を剥がされてしまうという、最悪なケースもあるようです。
奪衣婆と懸衣翁
奪衣婆
奪衣婆は、脱衣婆(だつえば)とも読み、老女の鬼(歳をとった鬼の女性)になります。
奪衣婆は、亡者から衣服を剥ぎ取るのが仕事です。
懸衣翁
懸衣翁(けんえおう)は、老男の鬼(歳をとった鬼の男性)になります。
懸衣翁は奪衣婆と違い、衣服を剥ぎ取ることはせず、衣領樹(えりょうじゅ)と呼ばれる、人の罪を衣服の重さではかる枝に亡者の衣服を掛けて、大きくしなるか、小さくしなるかを見ています。
もちろん枝が大きくしなる場合には、その人の罪が重いという証となります。
つまり、人間だった頃の罪をはかるのが懸衣翁なのです。
賽の河原
そして、この三途の川の河原は賽の河原(さいのかわら)と呼ばれています。
親より先に亡くなってしまった子どもは、親不孝という罪を背負っています。
賽の河原は、そんな子どもたちが苦を受ける場所として、供養としてその子供は河原の石を積み上げて塔を作り上げなければいけません。
しかしいよいよ塔が完成するとなるときに、鬼が来てその塔を壊してしまうのです。
子どもはその度に何度でも塔を作り直さなければなりません。
ですが最終的には、地蔵菩薩(お地蔵さん)が助けに来て、子どもたちを救済してくれます。
三途の川という考え方は、元々仏教に由来していますが、賽の河原などは民間信仰などによるとも言われています。
最後に
死んでみないことには、死後の世界がどうなっているかは知ることはできません。
今生きている私たちには絶対に知り得ない世界があるというのは、恐怖になります。
人は死んだらどうなるのか、自分というものがこの世から消えた後はどうなるのか、昔の人も様々考えた末に川の存在を見出したのでしょう。
そして自分のした行いは自分に返ってくるとして、善人は金銀七宝の橋を渡って極楽浄土へ、罪人は荒い川を渡って閻魔大王のもとへという考え方に至ったのかもしれません。
それは今を生きる自分たちへの戒めであり、来世への希望でもあります。
人は誰しも永遠に生きることはできず、必ず死の世界が待っています。
しかしそのことに怯えて暮らしていくのではなく、この今を精一杯生きるためにできた考えでもあります。
死後に救われるという考え方も必要ですが、その前に現代を一生懸命生きるということが大切なのです。
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