「こんなこともわからないのか、これ常識だぞ」といったことを言われたことがないでしょうか。
この場合、常識とは自分の価値観を一方的に押しつけるための言葉であり、比較の意味があり、相手を従わせるための言葉でもあります。
そもそも常識とは何か、辞典には、
ある社会で、人々の間に広く承認され、当然もっているはずの知識や判断力。共通感覚
とされています。
また、前提でもありみんなが知っている情報のことを言いますし、一般的、基本的、普通、世間並み、ルール、なども同様な意味と考えられます。
ここでは、常識とは何かについて紹介します。
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常識とは何か
一般的な俗説
まずこの言葉は、漢字の「常」と「識」からできています。
「常」は”つね”と読むと「いつものこと、日々」とか「普通、平凡」といった意味があり、一方で”とことは”と読むと「永遠に変わらないこと」となります。
「識」は”しき”と読んだり”しる”と読み、「状況や状態を感じて知る」という意味があります。
漢字の意味から察するに「常識」とは、日々知るものであり永遠に変わらない状況や状態のことと思われます。
一方で普通に考えた場合、辞典にもあるように、一定の範囲内に居る人たちの「共通認識」を指します。
国全体、地方、小さな範囲だと各家庭での常識もあります。
常識の反対の表現は、非常識になります。
非常識な言動や行いは、基本的に忌諱されます。
つまり、常識とは基本、守るべきものだと認識されます。
生活習慣や歴史、文化
常識はそれが共通認識されている生活習慣や歴史、文化などが関わります。
自分にとっての普通が、他方では異常や希少となることも少なくありません。
従って、旅行や引っ越しなどで、特に遠くの地域を訪れる場合は注意が必要です。
業界
常識は生活習慣的なものばかりでなく、いわゆる業界の常識というものもあります。
これは仕事上の慣習であったり、仕事を効率的に進める手段であったりします。
仕事上は、直接金銭に関わるものもあります。
転職などで業種が変わった場合、住んでる所は変わらないことも有り得ます。
生活の地域は変わらないのに、仕事上は変化するので戸惑う人も多いと考えられます。
家庭
そして、ある意味やっかいなのが各家庭の常識です。
家庭は、それ一つで独立したコミュニティです。
当然、各家庭ごとにやはり生活スタイルも違います。
短時間訪れるだけならさほど問題にならないかもしれませんが、やはり自分の家庭とは違うことを意識しなくてはなりません。
問題は、ルームシェアや結婚など、家族以外の人と共同生活をする場合です。
共同生活をする相手は、それまで、自分とは全く違う価値観で生活してきたのですから、できれば共同生活を始める際に基本的なルールは決めておくべきでしょう。
真理ではない
そして、最も注意する点。
それは、常識は決して真理ではないということです。
真理は国や文化、生活習慣に影響されません。
しかし、常識は違います。
国、地方、家庭、もっと言えば個人の価値観でも違ってきます。
時代などの時間に対しても、不変ではありません。
時には、科学的な事実に反することもあります。
これらをまったく疑わずに正しいものだと思い込んでいると、思わぬ失敗やトラブルを起こしてしまうかもしれません。
技術の進歩で、昔に比べると比較的容易に海外などの遠方に行けるようになり、インターネットの普及で多種多様な人達と交流がもてるようになりました。
何の変哲もない有りふれたものでも、別のものと出会えば双方が影響を受け、少しかもしれませんが、双方の常識が変化します。
昨日の常識は、今日の非常識かもしれません。
個人の価値観が多様化しているように、常識も多様化する時代かもしれません。
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価値観であり自分を隠すもの
常識とは、幼い頃から今に至るまでに植え付けられてきた価値観という考えもあります。
ただ、人には向いている価値観と向いていない価値観があります。
例えば、サラリーマンになることが評価される価値観の中で過ごすとどうなるか。
その人は、本当はサラリーマンになりたい人ではなかったかもしれないのに、そうした中で過ごすと「これが普通だから」と本当の自分を抑えてしまいます。
「本当は自由業が良かったけど仕方ないか」といったことになります。
つまり常識とは、本当の自分を隠すものであり、小さな箱の中に抑えつけるものなのです。
そうすると、しだいに箱の出方を忘れてしまいます。
しまいには、自分がわからなくなるといったことも起こってしまうのです。
新しい自分になるために必要なもの
常識とはときに古いものでもあり、ときに新しい自分になるために必要なものでもあります。
自分は今どこにいるのかということをしっかりと把握することで、新しい自分になることができます。
また、型破りという言葉があるように、型破りができるのは基本的なことができる人で有り、常識を備えているからでもあります。
多数派で決められるもの
常識とは常に多数派で決められるものです。
少数派は異端扱いです。
多数派が望めばそれが正しいことで、当たり前のことになりやがては世間が知ることとなります。
集団の中で生まれる
常識とは集団の中でしか生まれず、特に学校が生徒を、組織が従業員を、国が国民を縛るためのものであり、そこには不安という心理が隠れています。
学校では、生徒を従わせやすくするため。
組織では、自分達の保身のため。
国では、国民の自由を奪い革命を起こさせないため。
つまり、常識に従えば従うだけ自分の足を引っ張る結果となるわけで、成功を妨げるものなのです。
人は常識から逸脱するのを恐れる
「ルールは破られるためにある」という言葉を聞いたことはないでしょうか。
しかし、本当にそのルールを破るという人は少ないと思われます。
それは何故か、多くの人々は常識を越えた予想できない事態に異常性を見てしまうからです。
例えば、あなたの近くに成金が現れたらどうでしょう。
「こいつ、何か悪いことでもしているんじゃないか」と疑って不安になる方が多いと思います。
どうして不安なのか、それは多くの人が「お金持ちになることはできない」といった価値観から、規範から逸脱した行動に異常性を感じ、犯罪行為を連想するからです。
そして、多くの人は犯罪者が犯罪を犯した理由として「規範を破ったから」とか、あるいは「ルールを守れない人は法も守れない人」といったところに落ち着きます。
つまり、人は犯罪を犯した明確な理由として、規範やルールを逸脱した行為に答えを見いだすのです。
結果、ルールを破る=悪という構図が出来上がってしまい、人は常識から逸脱するのを恐れるとされています。
最後に
以上、常識とは何かについて紹介してきましたが、常識とは普通、基本的なルールであったり守るべきもの、あるいは知識や判断力のことを言います。
しかし、こうした行動をとることを重視すると、自分の人生を失うこともあります。
基本に従えば従うほど、ダメになるという人もいるでしょう。
自己流を矯正されたことで駄目になるという考え方です。
従って、自分の理想がある人は「常識がこうだから」と、無理に自分の価値観を変える必要はないように思います。
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