悟りとは本来、目に見えるものではないですが、多くの人がそれを手に入れようとします。
悟りとは基本的には、
物事の真の意味を知ること。理解。また、感づくこと。察知。
輪廻のサイクルを越える至福
であると解釈されています。
「無心の境地」「無我の我」「無心の心」「無相の自己」などとも表現されます。
悟りとは心を無にし、自己を滅することで、自分が自分ではない状態(無我の我)に至ります。
また悟りの初期段階では、「気づき」からと言われるように、「自分が何ものなのかを知る」といったことでもあると言われています。
では、悟りを開いた人の特徴とはどのようなものなのでしょうか。
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悟りを開いた人の特徴
一般的な俗説
悟りを開いた人の特徴としては、如何なる圧力にも屈することがないとも言われています。
現代社会においては、何らかの形で圧力を受けることがあり、それを退けるには勇気が必要です。
つまり、悟りを開いた人は「勇気」を持っているのも一つの特徴なのです。
悟りを開いた人は、自分を飾らず、なにがあっても自分自身を見失わない心を持っているのも特徴です。
人は何らかの危機的状況に陥ると本性(素)が出るものでして、そうした状況では、その人の真価がわかるもので、自分を飾っている人はそこでメッキが剥がれてしまいます。
人は弱い生き物なので、怯えますし、僻み、拗ねるものですが、悟りを開いた人はこれらの境地には至りません。
他人との対立も恐れず、自分の信念を貫き、決して自分に限界などはつくりません。
得てして、人間というのは「自分にはできない」とか「絶対に無理だ」などと言いますが、それはただ単に自分で自分をダメだと思っているにすぎないのです。
悟りを開きたい場合には、そう思わないようにするのが得策です。
人と比べずに自分自身に目を向ける人
人と比べずに自分自身に目を向ける人は、悟りを開いている人の特徴でもあります。
今の世の中、簡単に自分と他人とを比較することができますので、
「あの人に比べて私は不幸だ」
などと言う方が時々いますが、しかし、その人(あの人)は本当に今の現状に満足しているのでしょうか。
人にはそれぞれの道があり、人によっては「富、名声、地位」だけを手に入れるためだけに、自分の意に反することを行っていたりするものでして、当然その行為では、自分の心が満たされるわけもなく。
後には「虚しさしか残らない」ともいいます。
なので、悟りを開くということはそうした見せかけではなくて、自分を見失わないでいる。
物事の本質を考え、言葉は心と一致させたり、過ちは素直に認めたり、自分と対話できる人物だと思うのです。
お寺などの住職などを見てみるとわかるのですが、彼らは基本貧しい生活をお寺で送ります。
しかし、心は穏やかそのものです。
お寺での生活は、「目に見えないものにこそ価値がある」ということを体現しているのではないでしょうか。
執着しない
悟りを開いた人の特徴としてよく言われるのが、執着しないということです。
「こんだけしてやったんだから・・・」
「ここまで育ててやったのだから・・・」
といった「執着」は見苦しいだけでしかなく、彼らが悟りを開くことは到底無理でしょう。
執着とは、手放すことにこそ意味があるのです。
「自分のためにした」
「相手が喜んでくれるのならそれでいい」
と心から思える人は、悟りを開ける人です。
自分が相手に対して何かしても、その行為に対して常に対価を求めていては、悟りを開くことは到底出来はしないのです。
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現代社会における悟りを開いた人
悟りを開いた人の特徴というのは、他にどういうものがあるでしょうか。
「四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳したがう、七十にして心の欲する所に従えども、のりをこえず」
「孔子」は晩年、自身の人生を振り返ってこう言いました。
つまり、彼は四十歳で悟りを開いたといえるでしょう。
心が迷うことがなくなり、天から与えられた使命を知り、人の言葉に素直に耳を傾けることができるようになり、自分の思うがままに行動しても正道から外れなくなること、これは悟りを開いた人の究極的な特徴といえます。
では、もう少し具体的に現代人の生活に即して考えてみましょう。
現代人
若い頃は周囲の友人や親せき、知り合いの言動にいちいち心を動かされやすく
- 「誰々が何々を買ってもらった」
- 「誰々がどこどこ大学に受かった」
- 「どこどこ会社に受かった」
- 「こういう人と付き合っている」
- 「こういう人と結婚した」
このような情報にあるときは嫉妬し、焦りを感じ、そしてそれに比べて自分はどうなんだ、と劣等感に思い悩んだりします。
またマスコミの「今、こういうのが流行っている」「こういうのはいまや時代遅れだ」などという情報に流され、自分も流行についていかなくちゃ、時代遅れにはなるのはダサいと、自分の趣味嗜好とは関係なく必死に後追いしてしまう人も多いでしょう。
更には、従来の価値観につい無意識のうちに縛られてしまったりもします。
偏差値の高い大学に入り、大手有名企業に入社し、数年後に見栄えの良い人と結婚し、子供を数人産み、マイホームを三十年ローンで購入し…現代日本においてはこういう人生を送るのが「普通」だ、だから自分もそういう人生を送るんだろうな、と誰もが若い頃は多かれ少なかれ受動的にそう考えてしまっているのではないでしょうか。
これが悟りを開く「BEFOREの姿」といえます。
しかし、人生なかなかそう簡単にはいきません。
挫折し失敗し、また既定通りの人生を歩んでいるのになんだか違和感が否めない、自分の生き方これでよかったのだろうか、これが自分の送りたかった人生なのか、そこに自分の意志は本当に入っていたのだろうか…思い悩み、思索を重ね、やがて気持ちはゆっくりと変化していきます。
様々な経験とそれへの内省から、人の心は徐々にじっくり時間をかけて「脱皮」してゆくのです。
そうやって人は悟りを開くのです。
最後に
悟りを開いた人の特徴として、もはや周囲の人の言動や世の流行、既成概念には流されません。
もちろん人は皆、社会の共同体で一緒に暮らしているわけですから、「ルール・マナー」の根拠となる価値観や規範を完全に無視するのも無理があります。
しかし、反社会的でない範囲に存在するあまたの情報や多種多様の考え方・ライフスタイルの中で、自分に合ったものを自分の気持ちに正直に取捨選択していく「価値観リテラシー」の発達した人、それが現代における悟りを開いた人の特徴といえるのではないでしょうか。
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