幸せとは、幸運であること、悩みがなく不安もなく「仕事、恋愛、お金」が満ち足りていることでしょうか。
辞典には
満足な状態から激しい喜びに至る情緒で特徴づけられる健康状態
とも記されています。
つまり、幸せとは自分が常に満足していなければならないということです。
その上でさらに、自分に試練を与えその過程で表れる喜びに似た状態のようです。
ここでは、本当の幸せについて説明します。
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目次です。
本当の幸せとは
自分で求めなければ手に入れることはできないもの
本当の幸せとは、自分で求めなければ手に入れることはできません。
求めるのは簡単ではありません。
諦めたらそれこそ終わりですし、求めたからといって何でも手に入れられるものではないからです。
幸せの対義語は不幸せですが、不幸せになるのは簡単で何も求めなければ良いのです。
- 目的も持たず、何もかも投げ出し、努力せず快楽に溺れる。
- 物欲を抑えられず、ギャンブルに手を出して借金まみれになり、友人や親族に迷惑をかけ裏切り一人孤独に暮らす。
- 住居も持たず、働くこともせず毎日ぶらぶらして、ゴミ箱をあさり古本や空き缶を集めて暮らす。
つまり、幸せとはこの逆のことをすればいいわけです。
自慢することではない
本当の幸せとは、財産があるとか才能があるといったことを自慢することでもありません。
そうした自慢をする人は、きっと心が満たされず貧しいのです。
また快楽主義者は「快楽」を幸せとし、如何に自分が快楽的に過ごしているかを自慢します。
幸せとは「今を楽しむことだ」と理解し、快楽を追い求めます。
しかし、そうした人はいずれ失敗しますし、成功したといった話はあまり聞きません。
仕事
本当の幸せとは、毎日毎日ハードな仕事をして多くのお金を稼ぐことではありません。
ハードな仕事をしていれば、お金は満たされますが、健康状態は悪化するばかりです。
睡眠障害、過労死、不規則な食事(ファーストフード)による健康被害もありますし、休日もなく毎日残業ばかりさせられては、「何が楽しくて仕事しているのかわからない」といった状態にもなります。
一方で自分の好きな仕事をしていれば、仕事は満たされます。
好きなことをしてお金が稼げれば良いのですが、そう上手くいかないのがこの世の中です。
借金をして起業する人、夢を追い大企業から日雇い労働者になってしまった人など様々です。
仕事での幸せ
では一般的な仕事での幸せとは、いったい何なのかというと、これは源氏鶏太氏(小説家)のサラリーマン人生訓ですが、
- よい上司にめぐまれること
- よい上司になること
- よい同僚に恵まれること。よい同僚になれること
- よい仕事に恵まれること
だそうです。
この教訓を仕事においては参考にしてみてください。
愛
よく「結婚して幸せです」といった発言をしている人がいます。
では、本当の幸せとは結婚することなのでしょうか。
そもそも結婚とは、相手を好きだからするものであり、付き合っているうちに愛情が芽生えるためです。
しかし、相手を愛しすぎる人は不幸せになります。
熱烈な愛ほど、熱しやすく冷めやすいからです。
熱烈な愛とは、要するに自分勝手な思い込みでしかなく、「アイドルはトイレに行かない」といったものと同意です。
だから、相手が少しでもそうしたことと違う行動や言動をとることに、強く幻滅してしまいます。
熱烈な愛を持って結婚した人は、相手を愛していたというよりもそうした自分の感情を愛しているのです。
なので結局は、長続きしません。
一般的に言われるのは、愛とはもっとゆっくりとしているということです。
結婚生活に不満なく、一生幸せでいることは難しいのかもしれません。
せれよりも、相手に尊敬できるところがあるとか、あるいは結婚して幸せになれるのは、結婚することがゴールではなく、幸せな結婚生活をゴールとしそれに見合った相手を探すことかもしれません。
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お金があれば幸せな人生を送れるのか
お金があれば何でも手に入る現代において、お金さえあれば人は幸せといえるのでしょうか。
お金があれば人は自然に集まって来ます。
きっとその人生は寂しくはないでしょう。
しかし、お金の力だけで集まって来る人は本当の友人ではありません。
本当の友人は利害関係は一切なく、その人の人柄を愛して集まって来る人達です。
もちろん、その友人たちのことも愛せる人です。
幸せとは、人が与えてくれるものではありません。
自分で勝ち取るものです。
誰が見ても恵まれている人も、不平不満ばかり言っていては幸せではありません。
反対に恵まれていなくても心が豊かであるならば、それは幸せなのです。
例えば、大好きな食べ物が半分になった時に、「もう半分しかない。」と思うか「まだ半分もある。」と思うかによって、心のいらだちは違って来ます。
半分しかないと思えば不幸ですが、まだ半分もあると思えば幸せです。
他の人とも分け合える余裕も生まれ、幸せをも惜しみなく分け合えることができるでしょう。
幸せとは心の持ち方一つで得ることも、逃すこともできます。
何か嫌なことがあった時は同じ目線に立たず、少しだけ高い所から俯瞰することが大切です。
そうすれば冷静になり、客観的に自分を見つめることもできます。
客観的になれば、相手の立場になって物事を考えることもできるのです。
しかし、人間はあくまでも人間です。
神様ではありません。
相手の立場に立ってばかりでは、本当の幸せとは言えないのも事実です。
自分らしくあること
重要なのは自分らしくあることです。
どんなに周りからいい人だと崇め奉られても、それが本来の自分とはかけ離れているならば、その人は不幸です。
反対に短所も目立つけれど、それを自覚し補おうと努力している人は幸せです。
長所がキラキラ輝いて見えます。
本当に幸せな人とはお金に満ちあふれた人でも、地位や名誉を手に入れた人でも、美貌に恵まれた人でもありません。
お金は社会情勢や景気の変動などで目減りし、地位や名誉も一生持ち続けることは稀です。
美貌は時の流れには抗えません。
そして、いつか世界一の大富豪にも必ず死が訪れます。
不老不死の薬が開発されない限り、それはすべての人に平等です。
その時こそ、本当の幸せの意味がわかる時です。
お金がなくても、心が豊かな人の方が幸せであると言えます。
自らの運命を謙虚に受け止め、周りの人々へ感謝の思いを持てるからです。
逆にお金がある人は、お金で買えないものがあると言う現実に悶え苦しむでしょう。
故に、お金や地位や名誉がある人よりも、心が豊かな人の方がはるかに本当の意味での幸せな人生を送れるのです。
今から心を豊かに変える努力をしていきましょう。
最後に
以上、本当の幸せについていろいろと語ってきましたが、共通する点としては、求めなければ手に入らないということです。
また幸せとは、相手がいて初めて実感できるものでもあります。
それはなぜかというと、一人では笑えないからです。
相手を笑わす、自分が笑う、幸せとは、そうしたふとした瞬間にも感じることができるものです。
「笑う門には福来る」とも言われるように、笑うことで幸福を引き寄せることもあります。
そうした笑える状態こそ、本当の幸せなのかもしれません。
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